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2 自己重力多体系とは?

自己重力多体系は、基本的には銀河、星団といった多数の恒星が集まっ て出来ているものである。現実の天文学としては、恒星は有限の大きさ を持ち、互いに衝突したり、衝突しないまでも半径程度の距離まで近付 いたし、また進化の結果、超新星爆発で質量の大半を吹き飛ばしたりす る。そのような現実的な効果についてはまた後の方で簡単に扱うことに して、とりあえずは古典的な質点から出来た系を考える。

なお、宇宙というと相対論を使うのかという話になるが、ほとんどの対 象では相対論的効果は無視出来る。相対論的効果が重要かどうかは基本 的には系の中の恒星の運動速度によるが、典型的な銀河ではこれは 、球状星団や散開星団では と光速の 以下である。力学進化という観点から重要なのは重力波の放出 によるエネルギー損失であるが、この損失率は速度の 10 乗に反比例し極 めてちいさくなる。

つまり、基本的な問題は、古典的なニュートン重力法則に従ってお互 いを引き合う質点粒子が古典力学の運動方程式に従って運動するような 系はどのように時間発展するかということになる。

これはスケールが非常に違うとはいえ分子が多数集まってできている普 通のバルクな物質と変わるところはない。従って、普通の統 計力学で記述できそうな気がする。他方、重力の他の相互作用とは違っ た特別な性質として、 ポテンシャルで表現される遠距離力であり しかも引力だけであるということがある。このために、通常の物質とは 違った振舞いが出てくることになり、またその違った振舞いが通常のMD (分子動力学)シミュレーションとは違った計算法を要請する面もある。

これに対し、MD にしても重力多体系にしても、実際の計算において計算 時間のほとんどを占めるのは粒子間相互作用の評価であり、そこをどの ように計算精度を保ちつつ高速化するかというのは共通である。

この場は「物性研究」ということなので、あまり重力多体系固有の事情 には深入りしないほうがいいのかもしれないが、とりあえずそのあたり を概観してから計算法の話に進むことにしたい。

以下、この節から4節までで重力多体系の物理を概観し、5節以降で数値計算法 を見ていくことにする。 4節までの内容の半分位は2000年の物性物理夏の学校 の講義ノートと重なっているが、一応このノートはこれ一つで閉じたものにし たいのであえてそういう形をとらせていただいた。

2.1 「統計力学的」アプローチ

ここではまず、統計力学的な扱いという方向から考えてみる。現実の系 では星は一つ一つ個性があり、例えば質量も違うわけだが、まずはそう いうことは深く考えないで星はみな同じ質量 m を持ち、それが N 個あるということにする。

自己重力系は、そのようなN 個の星(以下、「粒子」と書くこともある)が、 自分自身が作る重力場の中で運動しているような系である。

さて、統計力学を適用しようというわけだが、すぐに困るのは、実は自己重力 系には熱平衡状態がない、つまり、エントロピーが極大値をとる分布というも のが存在しないということである。

これはいろんな方法で示すことができるが、例えば以下のようないい方ができ る。

熱平衡であるためには、古典統計なので速度分布関数はマックスウェル・ ボルツマンでないといけない。しかし、これは不可能である。というのは、マッ クスウェル分布では速度分布は速度無限大まで広がる(指数関数的にしか落ち ない)テイルをもつが、自己重力系では、エネルギーがある値(具体的には、 無限遠でのポテンシャルエネルギーの値。普通はこれをゼロ点にとる)以上の ものは系から脱出して無限遠に消えていってしまうからである。

この一つの例が3体問題である。粒子3個を適当な初期状態において、全系のエ ネルギー(重力のポテンシャルエネルギーと各粒子の運動エネルギーの和)が 負になるようにしておくと、しばらくの間は3つがそれぞれお互いの回りを動 くような状態が続く。しかし、ほとんどすべての場合にこの状態は不安定であ り、粒子のうちの2つが強く結合した状態になり3つめがその反作用ではね飛ば されるという現象が起きる。こうなると、はね飛ばされた粒子はもちろんもう なにもしないし、2体の系というのはケプラー軌道でこれは無限に安定なので、 これは一つの「最終状態」ではある。

もっと粒子数が多い系でも、本質的には似たようなことが起きる。つまり、そ のなかでの粒子同士の散乱の結果、高エネルギーの粒子が作られるとそれは系 から逃げていってしまうのである。

2.2 自己重力系の熱平衡状態

そういうわけで、統計力学から極めて一般的にいえることは、「自己重 力系は、十分長い時間が立てば蒸発してしまう」ということである。し かし、これは確かにその通りではあるものの、あまりものの役には立た ない。ほとんどの系で、熱力学的な進化のみによって蒸発が起きるタイ ムスケールは宇宙年齢よりもはるかに長いからである。大体、我々が (これを読んでいるあなたが知りたいかどうかとりあえずおいておくと して)知りたいのは、銀河や星団ではどのようなメカニズムでその形や その中の星の分布が決まっているかということであるから、「いつかは なくなる」といわれてもあんまり嬉しくない。

というわけで、統計力学的な扱いをもう少し意味があるところまで進め ようと思うと、2つの方法が考えられる(他もあるかもしれないけど、あ まり調べられていないと思う)。一つは、系の次元を落すことである。 粒子が無限遠に逃げてしまうという問題は、空間を1次元にすれば回避で きる。というのは、1次元での重力の大きさは距離に依存しない定数であ るので、無限遠ではポテンシャルも無限大になるからである。

そういうわけで、一次元系を調べようという話は昔からいろいろある [Tan87,TGK96,TG00]が、とり あえずこのノートではこれについては触れない。というのは、空間を1次元化 したことで、熱力学的不安定とか、その結果散逸をともなう構造形成が起きる ことといった自己重力系の興味深い性質のほとんどが失われてしまうからであ る。そういうわけで、一次元重力系はそれ自体として興味深い対象ではあるが、 あまり現実の天体とは関係がない。

もう一つの方法は、壁をつけてしまうことということになる。簡単のた めに壁は球対称とする。こうしておくと、平衡状態があれば球対称なの で算数が簡単になって具合がよろしい。

2.3 無衝突ボルツマン方程式

平衡状態は何かとかいう議論をする前に、支配方程式を決めないと話にならな い。そこで、無衝突ボルツマン方程式を導入しておく。いま、粒子数が無限 に多い極限を考えると、位相空間での(一体)分布関数 は以下の無衝突ボ ルツマン方程式に従う。

 

ここで は重力ポテンシャ ルであり以下のポアソン方程式の解として与えられる。

 

ここで、 G は重力定数であり、 は空間での質量密度

である。もちろん、これは、重力多体系の運動方程式

 

で、質量密度 (ここで n は粒子の数密度)を一定に保って (従って )の極限をとったも のである。なお、ここで は粒子i の位置と質量であ る。

式は通常のボルツマン方程式と同じであるが、特徴的なのは衝突項がない ことである。後で説明するが、自己重力多体系の場合、粒子数無限大の極限で は重力場が滑らかになって衝突項が消える。

まず、力学平衡という概念を導入しておこう。これは、(衝突項を無視すると いう近似のもとで)、分布関数が時間的に定常であるということである。衝突 項がないので、一体分布関数に対してリュイビルの定理が成り立つ。従って、 ラグランジュ的に見て分布関数の値(位相密度)は一定であり、ボルツマンエ ントロピーは、少なくとも形式的には保存するということに注意して欲しい。 つまり、今考えている粒子数無限大の極限では、通常の意味での熱力学的緩和、 つまり熱平衡に向かっての進化は起きない。

で、力学平衡に話を戻す。分布関数が時間的に定常とは、もちろんオイラー的 に変化しないということである。このための必要十分条件を与えるのが以下のジーンズ の定理である。

ジーンズの定理: 任意の無衝突ボルツマン方程式の定常解は、運動の積 分を通してのみ位相空間座標に依存する。逆に、任意の運動の積分の関数は定 常解を与える。

運動の積分の定義も一応与えておく。ポテンシャル のもとで、ある の関数 I が運動 の積分であるとは、その上で

がなり立つことである。つまり、実際にすべての粒子の軌道について、その上 でその量が変化しないということである。ちょっと変形すれば

これと、上の無衝突ボルツマン方程式を比べてみると、すぐわかるように時間 微分が落ちているだけである。

なお、「運動の積分」というときの流儀は2通りあって、一般に運動の保存量 のことを「運動の積分」ということもあるが、ここでは位相空間の座標だけの関数 であって同時に保存量であるものをさす。具体的には、たとえば1次元調和振 動子で「初期の位相」というのは保存量だが運動の積分ではない。これは、時 間が入ってくるからである。 これに対し、エネルギー や、ポテンシャルが球対称(rだけの関数)の 場合の角運動量ベクトル は運動の積分である。

以下、定理の証明を一応書いておく。ジーンズの定理をいいかえると、 分布関数 f が定常であるためには、運動の積分 があって の形で書けることが必 要十分ということになる。

証明だが、まず「定常ならば運動の積分で書ける」というほうを考えてみる。こ れは、f 自体が運動の積分の定義を満たしているので、 OK。

逆のほうは、実際に f の全微分をで書き下せば、それぞれが 0 にな るということからいえる。

というわけで、これはなかなか強力な定理だが、一般の場合にはそれほど役に 立つわけではない。というのは、ポテンシャルを与えた時に一般に運動の積分 というのは 5 個あるはずだが、それらをすべて知っているということは普通 はないからである。例えば、ポテンシャルに球対称とか軸対称とかいった対称 性がない時には、一般にはエネルギー以外の保存量があるとは限らない。分布 に球対称とかいろんな制限を付ければある程度なんとかなることになる。例え ば、球対称にすれば、エネルギーの他に角運動量ベクトルの3成分が保存する。 もう一つ保存量があるが、これは調和振動子やケプラー運動のような軌道が閉 じる場合にしか意味がないので、実効的には上の4つが保存量である。ここで、 ポテンシャルに対応して分布関数も球対称であるとすると、分布関数がエネル ギー E と全角運動量 J にだけ依存するということになる。

軸対称ポテンシャルの場合には、対称軸回りの角運動量 は保存量にな る。それ以外には保存量がないと信じると、分布関数が E で書け るということになる。但し、一般には他に保存量がないかどうかは良くわかっ ていない。(これには第三積分問題という名前がある)。

ジーンズの定理は、重力多体系の特徴のうち無衝突系(に近いもの)であ ることから来るものを端的に表現している。すなわち、通常の流体ならば力学 平衡に対応する概念は静水圧平衡である。静水圧平衡であって熱平衡ではない 系を我々が扱う時の通常の仮定は局所熱平衡、つまり、十分小さなスケールで 見れば熱平衡が成り立っているという仮定である。この仮定により、例えば局 所的な温度というものを考えたり、熱とかその輸送を考えたりできるようになる。

ところが、重力多体系の力学平衡では与えられるのは系のどこでも共通である 分布関数であり、これは熱平衡でなければもちろん熱平衡分布関数とは違って いる。つまり、分布関数が本質的に局所的ではないために、熱平衡でない系で は必ず局所的にみても分布関数が熱平衡からずれていて、従って局所的な温度 等の熱力学的な量は自明には定義できないということになる。

もちろん、だからといって系が熱平衡に向かわないとかそういうことは(残念 ながら)起こらない。が、その進化は、通常の系のように温度差を打ち消すよ うに熱が流れるといった形では(少なくとも原理的には)表現できない。

では、そのような熱平衡に向かう進化はどのようにしておきるか?とい うことが問題だが、それを理解する枠組が「2体緩和」ということにな る。

2.4 ビリアル定理

2体緩和の話にいく前に、一つ重要な関係式を書いておく。定常状態のボルツ マン方程式から、速度のモーメントをとったり空間座標のモーメントをとった りしてがちゃがちゃ計算すると、以下のビリアル定理が出てくる。

ここで、 K は系の全運動エネルギー、つまり、空間各点での の平 均に質量密度をかけて全空間で積分したものである。Wは全ポテンシャルエ ネルギー

 

である。

今、系の全エネルギーを Eとすれば、 E=K+Wであるから、

ということになる。つまり、定常状態にある自己重力恒星系では、必ず全エネ ルギーはポテンシャルエネルギーのちょうど半分であり、絶対値が運動エネル ギーに等しい。これは球対称とかそういう仮定なしに常に正しい。このために、 系のなかでなにか散逸があったり、あるいは系の外にエネルギーを与えたりす ると、全エネルギーの絶対値が大きくなり、そのためにポテンシャルと運動エ ネルギーの両方がかならずその分大きくなる。

ここで運動エネルギーといっているものは多くの場合に恒星のランダム運動、 つまり熱運動のエネルギーであり、それが大きくなるということは大雑把にいっ て温度が上がるということである。つまり、自己重力系には、基本的にエネル ギーを失うほど温度が上がるという性質、すなわち「負の比熱」があるわけで ある。

なお、式(8)から、系の全質量を M とした時に

となるような長さの次元をもつ量 を定義出来る。これをビリ アル半径と呼ぶ。 は重力ポテンシャルから見た系の特徴的な大 きさを与える。



Jun Makino
Sat Feb 24 22:13:53 JST 2001