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33. 早野龍五氏の「科学的」(2021/4/12。4/13追記、修正)


早野龍五氏が 2/25 に 『「科学的」は武器になる』なるタイトルの著書を上 梓しました。構成担当として石戸諭氏の名前もみえます。

ここでは、まず、早野氏がいわゆる宮崎早野論文問題についてこの本でどのよ うな主張をしているか、ということだけを議論します。他にも数多くの問題が ありますが、それはまた別に論じることにします。問題の箇所は192ページの 最終行から196ページの最初の行までの3ページ強です。最初からみていきます。

論文といえば、僕は、自分も共著者になった論文について、内容の間違いを 指摘されました。伊達市から提供を受けた市民の計測データについて、分析 の計算式に誤りがあり、さらにデータが市民の許可を得ずに提供されていた という指摘を受けたのです。(192-193ページ)

まず、「指摘」は「内容の間違い」ではありません。さらにそれ以前の 問題として、この「指摘」は、早野氏の論文が掲載された雑誌に、 その論文について指摘する「コメントレター」として投稿されたものです。 この雑誌では、「コメントレター」は、それに対する著者による回答論文と 同時に掲載することになっていますが、早野氏はこの回答を作っていません。 このことは最後にもう一度触れます。

コメントレターでの指摘は「分析の計算式に誤り」 というだけのものではないし、また、データについての問題は、「市民の許可を得ず に提供されていた」というだけではありません。

この問題の当初の指摘は伊達市議会において行われており、データについては、

というのが、2019年初めにわかっていた問題です。データに関する2点はどち らも重大なものですが、早野氏は

ということをしています。データ提供については、現在わかっていることを簡 単にまとめると、ガラスバッジデータは論文用ということ ではなくて市のために分析をするということで機密保持契約の上で測定を行なっ た千代田テクノルから直接早野氏に渡っており、この分析結果ができてから 研究計画書ができている、従って、早野氏に渡っているデータは 「市のために分析をする」という目的に関しては不正ではないし、 そこに個人情報があることも、市として適切な行為かどうかはまた問題が ありますがそのような契約であるものです。しかし、そのデータを 使って論文を書くことが不正ですし、研究計画書にも論文にも同意があるデー タだけを使うとちゃんと書いてあるのに実際の論文の解析ではそれを無視して 全体データを使っていることが不適切なのです。

このような事実の無視と歪曲はここで見る早野氏の文章の基本的な特徴になっ ています。同じパラグラフの後半にいきます。

このことについて、僕が「伊達市民の計測データを不正に入手した」「伊 達市民の被ばく量を過小評価した」とする疑惑がかけられ、新聞各紙に 「市内に70年間住み続けた場合の累積線量を3分の1に過小評価した」と報 じられました。

繰り返しになりますが、「伊達市民の計測データを不正に入手した」という疑 惑ではなくて、入手したデータを不適切なやり方で論文に使用した、という事 実の指摘がされていました。また、新聞各紙に報じられた、とありますが、こ の3分の1という数字は早野氏自身が 2019年1月8日に文部科学省記者クラブに 貼り出した 文書 に記載されているものです。

「3分の1に過小評価した」点については、この文書では早野氏は

   私と主著者とで、私が作成した解析プログラムを見直すなどして検討した
   ところ、70年間の累積線量計算を1/3に過小評価していたという重大な誤り
   があることに、初めて気づきました。
と述べています。つまり、「市内に70年間住み続けた場合の累積戦略を3分の1 に過小評価した」ことは疑惑でもなんでもなく、早野氏自身の主張なのです。 自身の主張について、「疑惑」とか「報じられました」とか書く神経はいった いどういうものなのか、平凡な研究者である私の理解を超えています。

次のパラグラフは論文の意義についてです。

この論文は、これまでは空間線量をベースに住民の外部被ばく量 が試算されていたのですが、 実際にひとりひとりが計測用のガラスバッジと 呼ばれる個人線量計をつけて測った実測データに基づけば、空間線量ベースの 試算は過剰になる、というものです。つまり、空間線量で試算することの意義 を問うものでした。人は住宅の中にいたり、会社にいったり、働いたり……常 に移動し、同じ場所にじっとしてていないので、空間線量から推計するのでは 誤差が大きいのです。

これは、論文発表当時の早野氏・宮崎氏の主張とは全く違うものであり、 論文に書いてあることとも 研究計画書 に書いてあることとも違います。

まず、研究計画書には、「予想される研究結果及び学術上の貢献」の1つとして、

  1) 航空機による空間線量モニタリング結果と個人外部被ばく線量に正の相関がある
という結果が得られる、と書かれています。上の早野氏の著者にある「空間線 量で試算することの意義を問う」というのとは全く逆です。むしろ、これまで やられていない、航空機モニタリングの結果と個人線量計測定の関係を明らかにする、 ということが目的、と書かれています。

実際、空間線量と個人被ばく線量の関係については研究結果によるガイドライ ンが既にあったのですが、これは屋外での空間線量計による測定結果とそこで 暮らす人の被ばく線量の関係を与えるもので、航空機モニタリングの結果と 個人線量の関係を与えるものではありません。さらに、第一論文のアブストラクトには

  The results show that the individual doses were about 0.15 times the
  ambient doses, the coefficient of 0.15 being a factor of 4 smaller
  than the value employed by the Japanese government, throughout the
  period of the airborne surveys used. The method obtained in this
  study could aid in the prediction of individual doses in the early
  phase of future radiological accidents involving large-scale
  contamination.
とあり、航空機モニタリングでの線量と個人線量の間には比例関係があり、そ の係数は 0.15 である、この方法は今後の大規模汚染を伴う事故での個人被ば く量の予測を助ける、と早野氏らは主張しています。

さらに結論では

  The conversion factor derived in the present study, should help
  greatly in estimating the individual external exposure doses in real
  life in the contaminated areas affected by the FDNPP accident.
「本研究で得られた換算係数は、個人被ばく量を推定するのに非常に役に立つ」 と述べています。つまり、この論文は「空間線量で試算することの意義を問」 うものでは全くなく、むしろ、航空機モニタリングという安価な方法で、個人 の線量をちゃんと測る代わりになる、しかも、比例係数は 0.15 と小さいので、 航空機モニタリングで相当線量が高いところでも実際の被ばくは大したことは ない、と主張したものなのです。

この論文や著者の情報発信をうけて、例えば Science 誌にも 「Fukushima residents exposed to far less radiation than thought 」といった「解説」が掲載されました。

論文や研究計画書に書いてあることと全く逆のことを著書で平然と主張する、 という早野氏の行動は凡人の理解を超えているというしかありません。

まだ1ページにもならないですが、改めてあきれはてたのでまずはここまで にします。

さて、気を取り直して次のパラグラフにいきます。

伊達市から市民の同意を得ないデータを渡されていたという問題については、 僕は前市長時代にデータの提供を受け、それを当然、適切なデータと認識し ていました。しかし市長選後、新しい市長になると、「データ提供は住民の 同意を得ていない」という指摘がなされたのです。データの入手に関する問 題については、関係している皆さん、伊達市民にお詫びしたいと思います。

繰り返しになりますが、伊達市民のガラスバッジ計測データについては、早野 氏が受け取ったデータは上の、研究計画書の承認以前に千代田テクノルから受 け取ったものがあることははっきりしていて、それとは別に、これも研究計画 書の承認以前ですが、はっきりしない(書類等が残っていない)プロセスで伊達 市から渡ったものがあります。後者についても、島さんの情報公開 請求で得られた伊達市職員から宮崎氏へのメール(2015年8月3日)には、

   さて、ガラスバッジデータについて、千代田テクノルより
   CD-R で届きました。近々にお渡ししたいと思います。

   なお、誠に申し分けありませんが、ガラスバッジ結果については
   1年前(H26.6月)までしかデータベース化していませんでした。
   
とあり、千代田テクノルが作成した CD-R がそのまま渡されたことが想像され る内容になっています。実際、やはり島さんの情報公開 請求で得られた資料では、後者の、伊達市から渡ってとされるデータにも、 市民の同意・不同意の欄があった、ということがわかっています。

一方、研究計画書が福島県立医大に提出されたのは2015年11月2日です。研究 計画書もなかった時期に不明瞭な手続きで渡されたデータについて、「それを 当然、適切なデータと認識していました」といっても、この時点でどのような データが渡されるべきかについての宮崎氏・早野氏から伊達市への説明があっ た、という証拠もなく、「適切なデータと認識してい」た、というのは 早野氏の発言があるだけで全く根拠はありません。細かいことですが、

しかし市長選後、新しい市長になると、「データ提供は住民の 同意を得ていない」という指摘がなされたのです

というのは正しくなく、実際には新しい市長になる前から伊達市議会でこの 問題の追求が始まっています。何故わざわざ1文毎に間違ったことをいれるの か、よく理解できない文章です。

さて、やっと 193ページが終わり、194ページにはいります。

また、数値の誤りについてですが、これは単純に僕が組んだ計算式のミスで す。論文執筆時の所属である東京大学にも、詳しい説明をし、納得していた だきました。累積線量を3分の1に計算し間違えていたという当時の報道は、 この問題についての調査が終わった今から言えば、正しくありません。

パラグラフはまだ続きますが、まずはここまでで。既に上で述べたことの繰り返 しですが、「累積線量を3分の1に計算し間違えていた」というのは「当時の報 道」ではなく、早野氏自身が行わった説明です。早野氏は、「私が作成した解 析プログラムを見直すなどして検討し」た結果「1/3に過小評価していたとい う重大な誤りがあることに、初めて気づきました。」と書いているのです。 それにもかかわらず、「累積線量を3分の1に計算し間違えていたという当時の 報道」と自分の(現在まだツイッターにも残している)発言とは違うことを 早野氏は著書で書いているのです。もちろん、極めて形式的にいうと、 「当時の報道」が「3分の1に計算し間違えていた」というものであったのは事 実ですが、それは早野氏がそう主張したからです。そのことを書かないで、 まるで「当時の報道」が間違えていたかのように主張するのは不誠実でしょう。 なぜこのような、自分の信頼性を著しく毀損するような行為をするのでしょう か?

線量計には3ヶ月分の放射線量がミリシーベルトで記録されていたため、ここ からマイクロシーベルト毎時の線量を求めるには、「÷3)ヶ月)÷約 30.5(日)÷24(時間)×1000(マイクロシーベルト)=約0.455倍する必要がありま す。論文では、その計算をした後に70年間の累積を求めたのですが、その際僕 の書いた計算用のプログラムのソースコードにミスがあり、先ほどの反対の計 算、つまり「×3×約30.5×24÷1000」=約2.2倍する計算機が抜けてしまって いました。正しいソースコードに直せば正しい結果がでることは、後の検証で 明らかになっています。

このパラグラフのこの部分は、ここでとりあげる早野氏の文章の中で唯一、大 きな事実との齟齬はない箇所です。但し、だから問題がないというわけではな く、この、1/3ではなく 0.455倍ではないかという指摘は、黒川・谷本の共著 による「科学」2019年4月号掲載の論文で最初にされています。調査委員会資 料にもなっているこの指摘があったことを無視し、自身で誤りを正したかのよ うに見える記述を行なうことは、研究者として極めて重大な問題です。誰が最 初に指摘したか、というプライオリティを無視しているからです。研究者とし て決してやってはいけない行為です。

さて、このパラグラフの最後の部分にいきます。

計算の誤りはあってはならないことですが、論文の主な結論を述べている図に は誤りがないため、正しい計算式に直した場合でも論文の結論は大きく変わり ません。ミスの経緯を説明した際、大学の調査委員の皆さんは苦笑しながら 「君もこんなミスをするんだね」と言いました。僕も人間ですから、ミスをす るのです。

「論文の主な結論を述べている図には誤りがない」というのは正しくなく、主 要な結論を示している第二論文図5-7は全て誤りを含んでいます。さらに、 第二論文のアブストラクトに

  As a result, we found that the external exposure contribution to the
  mean additional lifetime dose of residents living in Date City is
  not expected to exceed 18 mSv.
とある、生涯「18 mSv」という数値も間違っています。一体なにをもって「論 文の主な結論を述べている図には誤りがない」といっているのかまったく理解 できません。さらに、「正しい計算式に直した場合でも論文の結論は大きく変 わりません」というのも、論文の主な結論を述べている図には誤りが」ある以 上正しくないわけです。なんだか気が遠くなってきます。

こんな状態で、実際に「君もこんなミスをするんだね」というような会話があっ たのだとしたら、大学(東大か福島医大か不明ですが)の調査委員会なるものは まともに機能していないというしかないでしょう。

あと1ページと3行、もうちょっとです。

計算結果を直して論文を修正するには、もう一度同じデータを提供していただ く必要があります。しかし、データをいただくことはできませんでした。論文 は撤回せざるをえませんでした。

これは、論文の修正のための「同じ」データの提供はもちろん不可能です。と いうのは、論文用に使う、ということであれば、これまで存在したことのない 個人情報保護の観点から適切に加工したものを新しく用意する必要があるし、 それは新しい研究計画書、倫理審査、市への依頼に基づく必要がありますが、 そのような準備、依頼を早野氏はしていないからです。従って、論文の撤回は 当然なのですが、不思議なのはではなぜこの撤回が2020年7月になってなされ たかです。伊達市から「同じデータ」の提供をうけることができないことは 早野氏は 2018年末には理解していたと考えられます。何故その時点で撤回 しなかったのでしょうか?論文の Retraction notice には

  On 4 June 2020, IOP Publishing received confirmation from the
  authors of 2017 J. Radiol. Prot. 37 623 (the second in a series of
  two research articles) that ethically inappropriate data were used
  in the study reported in this article. This confirmation follows an
  investigation into the matter by Date City Citizen’s Exposure Data
  Provision Investigation Committee, which finds that some subjects
  within the study did not consent to their data being used for
  research, and it is unclear whether the unconsented data was used by
  the authors in their paper.
と書かれています。ここでは Date City Citizen’s Exposure Data Provision Investigation Committee なるものがでてきますが、この委員会のレポートはは 伊達市被ばくデータ提供に関する調査委員会報告書 であると思われます。この報告書に書いてあることは、要するに 2015年8月に市から宮崎氏・早野氏にデータを渡したことは不適切であった、 ということで、不適切なデータと「同じデータ」を提供するなんてことはでき ないに決まっています。早野氏は伊達市にいったいなにを要求したのでしょう か?

なお、ここで、2015年8月の市職員からのメイルに

   なお、誠に申し分けありませんが、ガラスバッジ結果については
   1年前(H26.6月)までしかデータベース化していませんでした。
   
とあることに関係する問題について簡単にまとめておきます。ここにあるよう に、データは 2014年6月までのものしかなかったように見えるのですが、論文 のグラフには、2014年10月から12月までの時期に対応するものがあります。 しかし、この時期のグラフは、実際のデータに基づいていない、ということが 明らかになっています。というのは、この期間の実装のガラスバッジデータの 数は約1万4千であるのに対して、グラフは2万1千人分として書かれているから です。他にも、年齢分布が、1年前のものから1年歳をとっていないといけない のにそうなっていない、何故かこの時期のグラフだけ、原点を通るべき直線が わずかに原点からずれている(手で編集して失敗したのでは、という可能 性を示唆する)、グラフの文字のフォントが違う(作成に使ったプログラムが違 う)といった不可解な問題があります。

すなわち、市からは、2014年10月から12月までの時期に対応するデータは提供 されたことがなく、それにもかかわらず結果は存在する、それはもちろん正し いデータに対応しない、ということがおこっているわけです。

データから作るべき図を実際のデータによらずに作ることは通常の理解では捏 造ですが、早野氏はいかにしてこのグラフを作ったのでしょうか?もちろん本 人の弁明は、自分は市から提供されたデータを使った、ということになると 思われるのですが、早野氏がグラフを作るために使うことができたデータが存 在した、という証拠はなに一つありません。

195ページにはいります。

ここで明言しておきたいのは、僕に意図的なデータ改ざんなどの研究不正はな かったということです。これは大学側の調査でも認定されています。もうひと つ付け加えると、仮に僕が研究不正に手を染めてまで、より福島を安全である、 伊達市が安全であると印象付けたい意図があったとするなら、こんな単純な計 算ミスをするメリットはどこにもないということです。

様々な研究不正事件において、実際にやった人がやったと認めることはむしろ 稀ですから、最初の文は無視していいでしょう。次の

これは大学側の調査でも認定されています。

ですが、東大は申し立てがあった不正についてだけ調査しています。例えば上 で述べた、データが存在しない時期のグラフについては、申し立ての時点では 明らかになってなく、東大でも福島医大でもまだ調査していません。つまり、 再調査が必要になっている、ということです。

その後に、早野氏は「こんな単 純な計算ミスをするメリットはどこにもない」と書いていますが、まず第一に この論文にある問題は早野氏が述べている計算間違い以外の多数にのぼり、上 の、データがない時期の数値がああり、真のデータと違う、という極めて重大なものも含まれます。 何故そのようなことをしたのか、の早野氏の動機は我々の理解を超えるものです が、メリットは実際にあり、Science をはじめとするメディアで大きくとりあ げられ、放射線審議会、さらには ICRP 勧告にまでこの論文の結果である 「0.15」という係数は盛り込まれていくことになっていました。この係数を少 しでも小さくすることは、除染費用を大きく切り下げることになり、国・電力 会社等の原子力発電推進側にとって莫大なメリットがあります。

次のパラグラフです。

僕はこの本で、科学と常に間違える可能性があり、間違っていることを検証し、 指摘をすることで進歩するプロセスだと書いてきました。しかし、わざと間違 えたデータを出しても科学の進歩はありません。そのようなことは、僕は断じ てしません。

わざと間違えたどころか受け取ってもいない「データ」を出している人が一体 なにををいっているのかというしかありません。

通常、論文を発表した後に内容の不備や間違いが見つかった場合は、論文が掲 載された雑誌と執筆者の間でやりとりをして、修正するなり、撤回するなりと いったプロセスを辿ります。現に今回の論文についても、僕は雑誌とのやりと りをしていましたが、論文の誤りを指摘した人は、この件について大々的に記 者会見を開きました。「このままででは早野さんがわざと不正をして、"福島 が本当は危険なのに安全だと見せかけようとしている"と誤解されてしまう。 早野さんも記者会見を開いたほうがいい」と多くの人に言われましたが、「論 文についてのやりとりは論文上で行なうものだ」というのが僕の科学者として の姿勢です。科学とは別の土俵に、上がるつもりはないのです。

ここで、早野氏が掲載された雑誌と一体どういう「やりとり」をしていたのか、 ということは重要です。この論文が掲載された雑誌では、内容についての 問題を指摘する論文(レター)が投稿された場合、それに対する著者の応答 と同時にこのレターを掲載することになっています。ところが、最初の レターを投稿した黒川氏に雑誌編集部がいってきたことは、「著者による修正 だけを掲載するのでそちらのレターは不掲載とするが、それでいいか?」とい うものでした。これが編集部の判断なのか著者である宮崎氏・早野氏の判断な のかは不明ですが、宮崎氏・早野氏も同意した上でのものであることは間違い ないでしょう。早野氏のいう、「論文についてのやりとりは論文上で行なうも のだ」は、自分に都合の悪い論文は雑誌に掲載させない、ということなのです。 「科学とは別の土俵に、上がるつもりはないのです」というのは、科学の外の 土俵で寝技を使う、ということです。

なお、「大々的に記者会見を開きました」というのは何のことをさしているか わからないのですが、記者向けに黒川氏が開いた勉強会のことでしょうか? そのような記者会見を早野氏が開いていないのは、黒川氏他の追求に答えたく ないからではないかと想像します。

「科学とは別の土俵に、上がるつもりはないのです」なら、そもそもこんな本 にこんなことを書いているはずはないのですから。

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