1. はじめに

この小文では、21世紀の天文学の目指すべき方向の一つとしての「系外アスト ロメトリ」について、その可能性と問題点を考える。これはまだ極めて予備的 な、検討以前の段階のものである。

1.1. 20世紀天文学の発展

20 世紀は、その古典的な意味で、「天文学」というよりは天体物理学の時代 であったことは論をまたないであろう。杉本 21世紀の理論天文学 によれば、 20世紀後半の天文学の特徴は以下のようになる。

すなわち、杉本の言葉を借りるなら

   こうして、「全波長天文学」というスローガンは、サブミリメートル電波、
   重力波、ニュートリノを除いて、基本的なところは征服した。


ということになる。まあ、こういう観点では可視光・赤外線での天文学は既に 終わったということになってしまって、この小文を書く意味もない。もうちょっ と違う観点から考えてみよう。

20世紀の天文学が「全波長天文学」であったとして、 21 世紀の天文学がなに を目指すべきかということを考える上では、一つの助けになるのは 19 世紀の 天文学はなんであったかを振り返ってみることであろう。

そう対比すると、 19 世紀の「天文学」 astronomy に対するものは 20 世紀 の「天体物理学」 astrophyics である。極めて大雑把にいってしまえば、19 世紀までの天文学は天体力学と位置天文学であり、天体がどこにあり、どのよ うに運動しているかを明らかにすることによって我々の宇宙の成り立ちを知ろ うとするものであったと言えなくもない。これに対して、 astrophysics の基 本的な方法は分光であると言える。つまり、単独の天体からの輻射がどのよう なものかを調べることで、その天体の成り立ちを知り、それから宇宙の成り立 ちにつなげようというものである。

天体物理学が大きく発展したことの重要な意義は、我々が観測し、実証的に理 解できる宇宙の大きさが大きく広がったことである。19世紀始めには天体の運 動を精密に観測できるのは太陽系内だけであった。現在にいたっても、視差か ら直接距離を決定できるのは依然銀河系内、そのなかでも 1kpc 程度のごく近 くにとどまっている。それ以上遠くの距離は、基本的に様々な天体物理学の知 見を利用した distance ladder によっているわけである。

2. アストロメトリ

しかし、天体物理学が「全波長天文学」という一つの目標をほぼ達成した現在、 我々が今以上に新しい宇宙の情報を求めるとすれば、それはどこにあるのだろ うか?もちろん、 20 世紀の方法をより精密にし、高感度、高分解能(空間、 波長の両方で)を目指すことで新しい知見が得られることに間違いはない。し かし、それだけでよいのだろうか?

ここで、 19世紀の天文学、すなわち天体力学 celestial mechaics と位置天 文学 astrometry が 20 世紀にどう発展したかを考えてみる。天体力学につい ては本稿のカバーする範囲ではないし、谷川・伊藤による詳細なレビュー があ るのでここでは触れない。

位置天文学としては、ここで重要なのはなんといっても HIPPARCOS である。 HIPPARCOS はほぼ 1kpc の距離まで年周視差によって距離を決定できる。すな わち、ほぼ の精度で恒星の位置決定が可能であった。 (10% の精度を要求すれば距離の限界は 100 pc になる。)

この画期的な精度によって明らかになったことは数えきれないが、質的に大き な発見としてここであげたいのは、銀河の星のほとんどがクラスターやストリー ムといったおそらくは起源を同じくする星の集まりの属しているということで ある。銀河系のこれまでのイメージは、ディスクにせよハローにせよあるグロー バルな分布関数にしたがって星が分布しているというものであった。この描像 では、スパイラルアームのような構造は一様な状態が力学的に不安定であるた めに生まれたものということになる。

ヒッパルコスが明らかにしたことは、この考え方が根本から間違っているとい うわけではないが、個々の星はそれが生まれた時の情報をまだ強く残しており、 別のところ・別の時刻に生まれた星が混ざりあって見分けがつかなくなってい るというわけでは必ずしもないということである。

このこと自体は、いわれてみれば理論的には当然のことである。ある星形成領 域でほぼ同時に生まれた、相対速度も極めて小さい星の集まりは、銀河内を運 動する間に軌道周期の違いなどでゆっくりと広がっていく。そのタイムスケー ルは大雑把にはもとの星形成領域の大きさと銀河系の大きさの比の逆数に軌道 周期をかけた程度になるわけで数 10 パーセク以下の大きさなら宇宙年齢より 長い時間がかかるからである。

いわれてみればそうであるが、これは HIPPARCOS によって発見された予期し ない結果であった。このような、銀河が形成過程を反映した微細構造を持つこ との意義はまだ十分明らかになったとはいいがたいかもしれないが、これから の観測的・理論的な銀河形成の研究に極めて大きなインパクトをもたらした。

論理的には HIPPARCOS の次のステップは銀河系全体の astrometry、 すなわち 10kpc 以上まで年周視差で距離決定を行うことである。これは次世 代の衛星、すなわち GAIA, SIM, JASMINE によって達成されることになろう。

3. 次世代の次

さて、それでは、次世代の次はあるのだろうか? HIPPARCOS から GAIA は 20 年あり、その間に 100 倍の精度を目指す。これが可能かどうかはまだ分から ないわけだが、出来たとして銀河系全体であり、さらにその 10 倍が出来れば 数 100 kpc、すなわちアンドロメダまで年周視差でいける。これは観測精度が マイクロ秒の程度である。

この領域になると技術的なことだけではすまない問題がいろいろでてくるとい うのは JASMINE の検討ででてきているわけだが、ここではそういった問題は とりあえず解決できたとして、それでどんなサイエンスが出来るか考えてみる。 アンドロメダまで届いても、見えるのは局所銀河群だけである。そういう意味 では、あまり面白くないという気がするかもしれない。もちろん、局所銀河群 全体の運動、その起源がわかることは確実であり、それは銀河形成の理解に極 めて大きな意味がある。しかし、見えるのが局所銀河群一つであるなら、あま り幅広い研究プログラムにはなりえないとも思える。

ここで、高精度アストロメトリでわかることには実は 2 種類あることに注意 しよう。いうまでもないことであるが、一つは年周視差による絶対距離であ り、もう一つは固有運動である。原理的には、これらと同時にわかる天球面上 の位置と、分光観測でわかる視線速度を合わせることで、天体の運動の完全な 情報が得られることになる。

年周視差については、精度を 10 倍にすれば 10 倍遠くが見えるだけだ が、固有運動については必ずしもそうではない。一般に遠くにあるもの、すな わち大きな構造は、より速く動いているからである。

年周視差で観測するということは、ベースラインが 1 AU である、つまり、 10km/s オーダーで 1 年の運動であるということである。固有運動であれば、 衛星の寿命が 10 年あれば 10 倍遠く、速度が 100 倍ならばさらに 100 倍遠 くが観測可能である。つまり、マイクロ秒のアストロメトリでは、数100 km/s のもの、つまりは銀河団のなかでの銀河の運動や、銀河団自体の固有速度をみ るなら、 数100 Mpc までが観測可能になるのである。これは、z にして 0.1 に及ぶものであり、 SDSS の深さと同程度になる(本当???)。

これだけの情報が宇宙の構造形成の理解にどれほど役に立つかは筆者の理解を 大きく超えるものであるが、以下いくつかの例をあげてみよう。

まず、いうまでもないことは、現在形成過程にある大規模構造について、深さ 方向以外の全てである5次元情報が得られることである。このことは、理論、 あるいはシミュレーションで得られた大規模な構造と観測との現在可能である よりもはるかに精密な比較を可能にする。宇宙論パラメータと初期ゆらぎにつ いての情報を同時に高い精度で得ることはそれほど難しくはなくなるであろう。

理論との比較ではなく、直接銀河団までの距離を決めるのにも、速度について は 3 次元全てが得られることから等方的であると仮定して直接距離決定出来 る。つまり、 distance ladder に一切依存しないで距離決定ができることに なる。明るさに依存しないので銀河間吸収や進化効果といった補正ともまった く無縁である。

銀河団自体の形成、進化についても、現在では想像することも困難であるよう な多様な知見が得られるであろう。

基本的には、 HIPPARCOS が銀河系の構造理解に今までなかった視線速度 2 次 元(+近傍では絶対距離)の情報をもたらし、我々の銀河系の理解を新たなもの にしたのと同様な発見が、系外銀河のアストロメトリによってもたらされるは ずである。これは、観測的宇宙論にとっては文字通り新しい次元を開くものな のである。

4. 実現可能性

さて、問題は、系外銀河のアストロメトリがそうはいっても技術的に可能かど うかということである。これは筆者にはよくわからない。マイクロ秒の精度自 体は可能であるとして、問題は銀河の大きさはマイクロ秒よりはるかに大きい、 秒から分単位のものであることである。つまり、それだけの大きさを持つもの の位置を決める必要があり、基本的に PSF が見える星像とは話が違う。

さらに、銀河の内部運動による変形も、銀河自体の運動に比べて決して小さい ものではない。また、変光星や新星によっても銀河の表面輝度分布は影響を受 けるであろう。もちろん、 AGN のような中心の狭い領域が極めて明るいもの であればこのような問題は相当程度まで避けることができるが、 宇宙論をするという立場からはやはり普通の銀河をみたいわけであり、これは 今後の検討が必要である。観測波長についても赤外のほうがいいとかそういう こともあるかもしれない。

逆にいえば、近傍の銀河についてはその内部運動を直接見ることができるのか もしれない。

なお、上の議論から、精度がマイクロ秒でなく、 GAIA や JASMINE 程度の 10マイクロ秒であっても、数十 Mpc まで、つまり乙女座銀河 団の向こう側くらいまでは十分いける。つまり、 CfA サーベイ程度の宇宙を カバーできることになる。

年周視差はあまり考えないで、固有運動だけをターゲットにするので、 HIPPARCOS でやったような大角度測定は必要ではない。言い換えると、単にな るべく大きい鏡と可能な限り大フォーマットで PSF を十分オーバーサンプル する CCD がついた、汎用的なイメージング望遠鏡でよい。

実際、 Anderson and King(astro-ph/0007028,0006325) は HST WFPC2 で固有 運動については HIPPARCOS 以上の精度を出すことに成功している。必ずしも アストロメトリのための特別にコストのかかる装備が必要というわけではない。

つまり、装置としてはあんまり芸のないもので、波長も可視から近赤外の辺り でミラーは冷却しなくてよい、極めて安直なもので済むのではないかと思われ る。技術的にはつまらないかもしれないが、、、

5. 謝辞

この小文を書くきっかけを作ってくれた土居さんに感謝します。