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57. 池田信夫氏の京速批判 (2008/2/3)

池田信夫氏という、経済学者であるらしい人の 京速計算機批判で、私の文章があたかも彼の主張をサポートするもので あるかのように引用されています。

   スパコンGRAPEを開発した牧野淳一郎氏も指摘するように、ベクトル型の寿
   命は20年前に終わっているのだ。
とか

   追記:牧野氏が、京速計算機についてきびしい評価をしている。「 2010年
   度末には大体のシステムを完成させる、ということになっています。プロ
   セッサから新しく作るのであるとまあ 5年はかかりますから、これは、既
   に時間が足りない、ということを意味しています」。つまり「新たにCPUか
   ら作る」という計画が、ムーアの法則を無視した愚かな発想なのだ。
とか。まあ、その、専門家でない人が書くことですし、別にどうでも良いかと思って いたのですが、最近池田氏が色々な主張をするのに、私のこの文章が 彼の主張の根拠であるような書き方をしていて、それは若干違うのではないか と思ったので少しこちらにも書くことにします。主張の具体的な内容と、その適切さについては最近の 池田氏の文章と、それに関係する色々な Web 上の文章をみていただく ことにして、ここでは、とりあえず、 京速計算機批判にある

    このようにコスト・パフォーマンスが大きく違う最大の原因は、アメリカ
    のスパコンがAMDのOpteronやIBMのPowerPCなど、普通のPCに使われるスカ
    ラー型CPUを多数つないで並列計算機を実現しているのに対して、日本が
    特別製のベクトル型プロセッサを新規開発するからだ。
というところを取り上げておきましょう。これはかなり基本的な事実誤認です。 というのは、確かに今回の京速計算機のプロジェクトではベクトルプロセッサ も開発することになっていますが、性能の大半はスカラープロセッサが担うこ とになっているからです。もちろん、ベクトルの分を全部止めにすれば価格性 能比を2倍程度にはできるかもしれませんが、それ以上にあがるようなものでは ありません。つまり、京速計算機プロジェクトに問題がないわけではないです が、ベクトルを新規開発することが最大の問題、というわけではありません。 ついでにいえば、 PowerPC は普通の PC に使われるスカラー型 CPU ではない し、IBM BlueGene の CPU は PowerPC そのままではありません。つまり、こ の1文の中に少なくとも3つの間違いがあります。

それから

    そもそも、このプロジェクトの発端は、地球シミュレータの年間維持費が
    50億円と、あまりにも効率が悪く、研究所側が「50億円もあったら、スカ
    ラー型の新しいスパコンができる」という検討を始めたため、ITゼネコン
    があわてて次世代機の提案を持ち込んだことらしい。
というのはもう事実誤認とかそういうレベルではなく、全くデタラメとしかい いようがない代物です。

京速のプロジェクトに全くなにも問題がなく、素晴らしいプロジェクトである、 というわけではないですが、このような無知と事実誤認に基づいた批判は、結 果的に「批判は無知と事実誤認に基づくものである」という反論を容易にさせ るものであります。また、ついでにいえば私の文章もそういうものであるとい うようなトンデモ議論をする人もでてくることになるわけで、かなり迷惑なも のではあります。

まあ、こういうことは良くあることなのでしかたがないのですが。

(以下2/4 追記) 池田氏の新しいエントリー(2/4 00:29:59のコメント)に

  彼も、私の記事をちゃんと読んでないみたいですね。私は「京速計算機がす
  べてベクトル型だ」と主張したことはありません。前にもみたように、調査
  会の批判を受けてベクトル型だけでやる計画が後退し、スカラー型が混在す
  るようになったので、ますます何をやるのかわからないものになってしまっ
  たのです。
と書いてあるのですが、私には池田氏が「ベクトル型だけでやる計画が後退し、 スカラー型が混在するようになったので、ますます何をやるのかわからないも のになってしまった」と、このエントリーそのもの以外のどこで主張されてい るのかわかりませんでした。ついでにいえば、CSTP のレポートがでるずっと前 からベクトル・スカラ(+準汎用)の複合型の計画であったので、「調査会の批判 を受けてベクトル型だけでやる計画が後退し、スカラー型が混在するようになっ た」というのは事実誤認であると思います。むしろ、批判を受けて1つに絞ろう としたけれどできなかったように見える、というのは 49 に書いた通りです。

とはいえ、私は池田氏が「京速計算機がすべてベクトル型だ」と主張した、そ れが事実誤認だ、といっているわけではありません。単に

    このようにコスト・パフォーマンスが大きく違う最大の原因は、アメリカ
    のスパコンがAMDのOpteronやIBMのPowerPCなど、普通のPCに使われるスカ
    ラー型CPUを多数つないで並列計算機を実現しているのに対して、日本が
    特別製のベクトル型プロセッサを新規開発するからだ。
という池田氏の書かれた文には事実誤認がある、といっているだけです。

ちなみに、池田氏は「神戸の関係者から聞いた話」として以下のようなことも 書いてます。

  もともと、このプロジェクトは富士通が受注したが、日立とNECが政治家を
  使って割り込み、3社の共同受注ということになった。随意契約なので、
  1150億円という予算は、地球シミュレータの「倍」という大ざっぱな基準で
  決まり、さしたる根拠はない。
これも全くデタラメですので、、、、政治家が色々動いているのは確かですが、 「もともと、このプロジェクトは富士通が受注した」というようなことは、4 年ほど前にさかのぼってもないです。なお、もしも最初に F が受注してればベクトル 型ではないでしょうから、この主張は、仮に池田氏がどこかで「ベクトル型だ けでやる計画が後退した」という主張をしているとすれば、それと矛盾するも のです。

とはいえ、

   最大の問題は、税金の無駄づかいよりも、ただでさえ経営の悪化している
   日本のITゼネコンが、こういう時代錯誤の大艦巨砲プロジェクトに莫大な
   人的・物的資源を投じることによって、世界の市場から決定的に取り残さ
   れることだ。 
という辺りは重要なポイントで、全くその通りだと思います。 HPC は既にIT 産業の牽引力にはなっていない、ということを、スパコン開発計画を立てる側 がきちんと認識している必要があるのに、京速計算機ではそのような認識が曖 昧なまま中途半端にお金を使う計画になっているのです。重要な主張が、 技術的な詳細に関する事実誤認等のために埋もれてしまっているのは残念なこ とです。

(ここから 2008/2/7 追記) 池田氏の別記事の新しいコメントエントリー(2/7 17:15:10のコメント) に

  「全くデタラメ」とは聞き捨てならない言葉ですが、牧野氏は次のような
  CNETの記事もデタラメだとおっしゃるのでしょうか。

  >時系列にニュースを見ると、まず、地球シミュレータ・センターは汎用スカ
  >ラ系スパコンへの機種変更は可能と判断し、安価な機種への変更を示唆した
  >ところ、次に、納入業者は、あわてて、最大の顧客を失っては一大事とばかり、
  >CPU入替案を持ち込んだ、と言うことのように思えるのである。

  http://japan.cnet.com/blog/petaflops/2007/11/18/entry_25001820/
とあるのですが、 CNET ブログの記事 (「CNET の」記事ではありません)を読めばわかるようにこれ は 100Tflops (京速計算機の 1/100) の地球シミュレータ後継の話で、京速の 話とは無関係です。2つのプロジェクトを混同されているように思われます。

    これについて私が兵庫県のITゼネコン関係者に再度、確認したところ、
    「富士通というのは勘違いだった。もとはNECが地球シミュレータの延長
    で、ベクトル型単独で受けたのを、他の2社が割り込んで共同受注に持ち
    込み、スカラー型と混在する設計になった」とのことです。 
については、既に何度もここにも書いた通り、元々「複合型」の計画が提案さ れていた(これは CSTP の報告や文部科学省情報科学委員会の資料にいくらで もでてきます)わけです。複合型のうち準汎用とかについてはメーカーが強く推 進したとかいうこともないですから、「兵庫県のITゼネコン関係者」の方の誤 解ではないかと思います。

    私が何度も問題にしている、1150億円ものプロジェクトが随意契約で決ま
    り、しかもプロジェクトリーダー(地球シミュレータと同じ)が調達先の
    NECからの「天上がり」であるという利益相反については、牧野氏はどう
    お考えでしょうか。
については、随意契約とか利益相反とかいった話はここではさておき、技術者 としてずっとベクトル並列をやってきた人を、その時点では「複合型」計画で、 ピーク性能の大半を準汎用から出すことになっていたプロジェクトのトップに すえる、という選択は私には理解しがたいものです。私が従来通りのベクトル 並列を開発するプロジェクトのトップになるようなものですから。

以下は全くの憶測です。CSTP に文部科学省がそのころに出した資料にはそんな ことは一言も書いてないのですが、文部科学省の中のどこかに実はベクトル 一本で進めるつもりの人がいた、ということはひょっとしたらありえるのかも しれません。上の「兵庫県のITゼネコン関係者」の方は、そういう人から偏っ た情報を得ていたのかもしれません。

実際、2006年度から2007年度にかけてかなり一本に絞る方向で努力したけれど も上手くいかなかったように見える、というのは、繰り返しになりますが 49 に書いた通りです。渡辺氏の正式な着任は 2006/1/1 で した。とはいえ、この段階では N 単独で受けるとかそんなことは正式にはなに も決まっていませんでした。

それから、国のスパコン開発のプロジェクトの場合、最終的にメーカーに開発委託 をするとしても、NWT や地球シミュレータを推 進した三好氏や、CP-PACS 等の代表であった岩崎氏のような、使う側の人間が トップでなければ上手くいきません。これは、メーカーの人かどうか、 ではなくて、使う側か作る側か、ということです。大学や国研のプロジェクト でも、作る側だけでやって上手くスパコンができた例はなかなか思い付きませ ん。富士通の VP-200 やそれ以前の 230-75AP ベクトルプロセッサにしても、 そもそも三好氏が要請した、というのは色々な資料に書いてある通りです。 その意味で、 今回の京速の技術的な面での大きな問題点の一つが、池田氏の指摘されている

    「何を計算するのか」という目的がないまま、1150億円というハコモノの
    予算だけが決まったことだ。
であることは間違いありません。「何を計算するのか」が決まっていれば、そ の計算をしたい人がトップになるのは極めて自然なことだったでしょうから。
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