平成8年にこの研究を組織した時、わが国における恒星系等の自己重力多体系 の研究は、月、惑星の形成の研究から宇宙の大規模構造の解明まで広範囲に渡っ て行なわれており、各々の研究では高いレベルにあったといえるが、対象を異 にする研究者間の相互作用が弱かった。また、平成6年度に完成した重力多体 問題専用計算機 GRAPE-4 を使って、理想化された(星の進化や親銀河との相 互作用を考えない)球状星団の進化や、ダークマターハローや銀河中心の高密 度恒星系についての理論的な理解はかなり進んだが、そのような理論的な研究 は、最近急速に発展した多様な手法による豊富な観測と比較するには若干距離 があるものであった。この基盤研究では、GRAPE-4 に代表されるような大規模 な数値シミュレーションによって可能になってきた自己重力多体系の理解を、 どのようにして現実の観測データとの比較ができる現実的な天体の理解にまで 発展させていけばよいかを整理し、理論研究の新しい方向を探ることを目的と した。現実的な問題のなかでも、特に重要と思われる自己重力多体系自身の進化とその 構成要素である恒星の進化の間の様々な相互作用に着目した。
これらの研究を総合的に進めるのに、平成 9-10 年はちょうど時宜を得ていた と思われる。観測データとしては、一例をあげれば楕円銀河のなかの星のメタ リシティの詳細な観測、あるいは球状星団のメタリシティの分布の詳しい観測 が出てきて、化学進化と力学進化をカップルさせた理論計算によってそれらの 起源に迫れるようになってきた。また、HST等による高分解能の観測により、 マゼラン雲等には非常に高密度でしかも大質量星を多数持つ非常に若い星団が あることがわかってきた。これに対し、理論計算の側では例えばSPH による流 体計算と radiative cooling, 星形成、超新星によるエネルギーとメタルの供 給等の相互作用をとり入れた現実的な楕円銀河や球状星団の形成モデル、ある いは、独立時間刻みによる高精度の多体計算と恒星の進化モデルを組み合わせ た球状星団の進化モデルといったものが扱えるようになりつつあった。こうし て、既存の手法に新しい概念、手法を組合わせ、自己重力多体系自身の進化と その構成要素である恒星の進化の相互作用をはじめとする多様な問題にアプロー チするため、研究会が持たれ、研究成果をあげることができた。
個々の成果については以下に各分担者から報告されるので、ここでは全体の研 究の流れをまとめる。まとめ方にはいろいろ考えられるが、ここではまず対象 ごとに記述し、それからそれらに共通する物理、今後の方向についてまとめる。
銀河団の観測については、 ASCA によって温度分布、組成比について情報が得 られるようになり、また ROSAT によって高分解能のイメージが得られた。こ の結果、従来の単純なモデル(例えば一温度モデルによるフィッティン グ)では説明出来ない多様な構造があるということがわかってきた。具体的に は、鉄の組成比の勾配、X線ガス内の重元素総量の銀河団の構造への依存性、 複雑な密度、温度構造などがあげられる。また、異なる方法での観測間の不一 致の大きなものとして、X線観測による銀河団の質量の推定と、重力レンズ効 果によるものとのあいだのずれが指摘されていた。例えば質量推定の不一致に ついては、銀河団のなかの構造、具体的には個々の銀河の影響を考慮すること や、質量分布モデルを等温モデルからより現実的なものにすることで解消され る方向であることなどがわかってきた。また、スニャーエフ・ゼルドビッチ効 果等、さらに別の方法での観測を付け加えることの重要性も指摘された。 銀河団の進化の理論的な研究は、多様な観測データを統一的に理解する方向を 目指してはいるがまだそこに到達しているとはいいがたい。化学進化について は銀河の項で述べ、ここではダークマターと星の系について簡単にまとめる。 最近の大規模な銀河団形成シミュレーションの結果では、一時、 ``unversal profile'' と称して銀河団や銀河を含むかなり大きな質量範囲で、また初期揺 らぎのスペクトルや宇宙論的パラメータにほとんど依存しないで、出来るもの の構造が同じようになるという主張がなされていた。しかし、高精度なシミュ レーションの結果では、そのような ``unversal profile'' は数値計算の誤差による artifact であるということが明らかにな り、構造の初期条件への依存性は再考しなければならなくなった。信頼できる シミュレーションによる実験的研究と、その結果を解釈するための単純化した モデルが必要とされている。
銀河の進化については、観測的にも理論的にも様々な面で理解が進んだ。 Ia 型超新星の白色矮星と主系列星ないし赤色巨星の連星系による新しいモデ ルが提案されており、このモデルで Ia 型の発生率を考えると、鉄が少ないと 起きなくなるということが示せる。これを利用して太陽近傍の星の重元素比を 説明することに成功している。 楕円銀河については、鉄の量と速度分散の間に非常によい相関があること、こ れは中心部だけではなく全体に及ぶものであることが明らかになった。 星形成、超新星爆発、放射冷却等の効果をとりいれた3次元 SPH 計算は、上の ような金属量分布を定性的には再現できるようになってきている。また、この ような矮小楕円銀河と通常の楕円銀河の構造、組成の違いを考慮することで、 ライマン の森の赤方偏移依存等の観測を説明できることが示された。
銀河中心核については、弱いバーがあるときに非常に効率的にガスを中心部に 集められるということが示され、また 太陽質量程度のブラックホール を持つ銀河どうしが合体したときに、それらがガスを効率的に集めて 太陽質量以上に成長する可能性が調べられた。銀河の渦状構造についても、ガ スと星の系をシミュレーションし、2本腕、3本腕のモードの振舞いについて調 べられている。
なお、銀河中心の巨大ブラックホールについては、ガスのない楕円銀河どうし の合体のように、ブラックホールが恒星系に落下してくる場合について調べら れ、巨大楕円銀河で観測されているような浅い()カス プが出来ること、これは解析的なモデルで理解できることがわかった。また、 中心にブラックホールをもつ恒星円盤の安定性についても調べられている。
球状星団等の力学進化と、そのなか個々の恒星の進化、あるいは親銀河の潮汐 力の影響についての理解はこの2年間で大きく進んだ。ここでは、重要なブレー クスルーであったのは粒子系の直接多体シミュレーションを、実際にその構成 要素の個々の星を進化させながら行なうことができるようになったことである。 いままで、球状星団についてはこのような恒星系の進化と恒星進化をカップル させたモデリングはフォッカー・プランク近似でしか行なわれていなかった。 重要な結果としては、フォッカー・プランク近似で同様な初期条件から始めた 場合に比べて、直接多体シミュレーションでは星団の蒸発が起こりにくくなる ということがあげられる。これの原因はわかってみれば単純なことであり、フォッ カー・プランク近似ではエネルギーが正になった粒子が瞬間的に取り去られる のに対し、粒子系では(もちろん現実の球状星団でも)星は有限の速度で動い ていて、星団から出ていくためには時間がかかるということである。これは単 にその星が出ていくのに時間がかかるというだけでなく、その星が全体のポテ ンシャルに寄与し、他の星を逃げにくくするという非線形な効果がある。その 結果、星団が蒸発するまでの時間が多くの場合に桁で変わってきていた。なお、 フォッカープランク近似に、従来のエネルギー分布だけではなく角運動量分布 の効果もとりいれ、さらに星団から出ていく時間をパラメータとしてとり入れ ることで、粒子系の振舞いを再現できるようになっている。
直接シミュレーションの他の成果としては、理論的に可能性が予言されていた merging instability についても、マゼラン雲で観測されているような若くて 高密度な星団では実際に起きる可能性が極めて高いということを明らかにでき たということもあげられる。シミュレーションでは、太陽質量の180倍の超大 質量星が数百万年の間に形成される。ここで重要な役割を果たすのは連星であ る。大質量星は力学的摩擦によりエネルギーを失い、星団中心部に沈澱する。 中心部での多体散乱の結果、そのなかでももっとも重いものどうしが連星を作 る。この連星がさらに他の星と遭遇し、複雑な共鳴相互作用をしている間に、 星同士の物理的な衝突が起きるのである。
球状星団の X 線観測では、従来よりも暗いものまで同定できるようになって きている。また、低質量連星型X線星はミリ秒パルサーの前身と考えられてき たにもかかわらず、数が合わない、また低質量連星型X線星でパルスが観測さ れていない等の謎が残されていたが、最近になって kHZ QPO が発見され、後 者の問題については解決の方向にあるようである。
また、球状星団の赤色巨星に観測される表面組成の異常について、星団内の星 同士の潮汐相互作用が原因である可能性について調べられた。
惑星形成については、非弾性衝突の効果をとり入れた大規模な多体計算が可能 になったことで理解が大きく進んだ。特にジャイアントインパクトの後形成さ れる原始月円盤からの月の形成については、ロッシュ限界の内側では集積が起 こらず、スパイラルモードによる角運動量輸送で外側に出るものと地球に落ち るものに分かれること、その結果ロッシュ限界のすぐ外側で月の形成が起きる ことがわかった。
星形成については、拡散近似によらず輻射伝達をそのまま解くことで、エネル ギースペクトルの進化を追うことが可能になってきている。ただし、まだ空間 は球対称を仮定しており、多次元での流体計算と輻射伝達をカップルさせるこ とが望まれる。また早期型星について、X線観測によって元素組成を決める可 能性が調べられた。
惑星形成や球状星団の力学進化の場合には、基礎的なプロセスの理解に大規模 な多体シミュレーション(数値実験)が果たした役割は非常に大きいといえる。 これは、もちろん一つには系が比較的単純であるためである。球状星団の場 合には相互作用は主には重力であり、その他に恒星進化の影響を考えればよい し、また惑星形成の場合には重力と非弾性衝突でものごとが決まると思ってい い。しかし、粒子数がすくないために起きる数値的な誤差をあまり考えなくて もよい、あるいはその誤差がどの程度かを定量的に押えられるところまで規模 が大きな計算が出来るようになったためという面は否定できないであろう。
もちろん、惑星形成や球状星団ではすべての問題が解決されたかといえば決し てそうではなく、惑星形成については原始惑星から実際に地球質量程度まで成 長するプロセスはまだ謎に包まれている。また月の起源についてはジャイアン ト・インパクトで形成された粒子ディスクからの集積というシナリオが有力に はなってきているが、ジャイアント・インパクトから粒子ディスクができるプ ロセスについては良く理解されていない。球状星団についても、連星系の進化 と力学進化の相互作用はまだほとんど未知であるが、これは X 線源、ミリ秒 パルサー等と関係して極めて重要である。ここでの大きな未解決の問題は、星 同士の潮汐相互作用の効果の定量的な理解ということになろう。
これに対して、銀河、銀河団、宇宙の大規模構造のような系、あるいは星形成 のような問題では、大規模シミュレーションから観測を説明するようなさまざ まな予言はなされているものの、基礎的なプロセスが明確に理解されてきたか どうかについてはどうだろうか。もちろん、重力、流体力学、輻射伝達等が複 雑に絡み合うシステムであるので基礎的なプロセスといっても単純ではなく、 すべての効果をとり入れた戦艦大和流のモデルによって初めて理解できるとい うことなのかもしれないが、観測事実の説明にただちにつながるようなある意 味でアドホックなモデリングだけではなく、基礎的な過程を明確にするような 研究の方向も必要であろう。また、矛盾するように聞こえるかもしれないが、 観測データの解釈に理論家が積極的にかかわっていく必要もあるように思われ る。現在の観測手法は極めて高度化しており、多くの場合に観測データの解釈 の段階でさまざまなモデルが明示的に、あるいは暗黙に仮定されている。例え ば重力レンズ統計の場合には、銀河団や銀河密度分布を仮定するといったこと が必要になる。結果がそういった仮定に強く依存することは決して稀ではない。 そういった仮定の現実性や意味を検討することは理論家の義務であろう。
分担者が各分担課題に沿って研究を行なうとともに、平成 9 年度と 10 年度 に各一回研究会を開催した。平成 9 年度は、恒星系の進化と恒星進化の相互 作用の研究を進める戦略を議論するために、平成 10 年 1 月 4 日 --- 6 日 にかわべ天文公園でワークショップが開催され、 24 人が出席した。ワーク ショップのプログラムは次の通りである。なお、詳細は、研究報告第2部「恒星進化を考慮に入れた恒星系の力学進化」 として印刷し、本成果報告に添付した。
平成 10 年度は、研究のまとめとしての成果発表の場として、平成 11 年 1 月 29 日 --- 30 日に東京大学大学院総合文化研究科でワークショップが開催 され、 44 人が出席した。そのプログラムは次の通りである。詳細は、本 報告の第2部に集録した。
次に各分担者の研究成果を分担課題ごとにとりまとめ、第1部として以下に集 録する。なお、第2部の研究会集録論文をもって、研究成果報告とした分担者 もある。